井上ひさし展示室 企画展「教科書で読む井上ひさしの小説」展2026年10月9日(金)〜2027年5月9日(日)
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- 開催日
- 2026年10月9日(金)〜2027年5月9日(日)
- 時間
- 《火〜土》9:30〜18:00 《日・祝》9:30〜17:00
- 場所
- 遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
- 料金
- 入場無料
中学3年生の国語の教科書に掲載されている井上ひさしの短編小説「握手」は、講談社が発行していた月刊のPR誌「IN★POCKET」(発行期間:1984〜2018年)の1984年5月号に掲載されたものです。このPR誌は文庫本版で講談社の本だけでなく各出版社の文庫本出版情報や作家へのインタビュー、対談、人気作家の連載短編小説などが入っており、読み応えのあるPR誌でした。井上は16編の短編小説を発表しておいます。高校の国語の教科書に掲載されている「ナイン」の初出もこの雑誌です。
字数が7000字ほど、原稿用紙で17枚前後。短編小越として教科書に全文を掲載しやすいボリュームだったと考えられます。
「握手」は30年以上にわたって掲載されてきた作品です。ルロイ修道士の深い愛と切ない思い出がテーマとなっている文学的価値の高い不朽の名作と言われています。
文学サロン ギャラリートーク
2026年10月11日(日)11:30〜(30分程度)
《入場無料》《予約不要》お時間までに遅筆堂文庫入り口へお集まりください。
井上ひさしの書斎
ぜひこの機会に足をお運びください。
井上ひさしプロフィール
1934年11月16日、山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に、父修吉、母マスの次男として生まれる。
本名は廈。五歳のときに父が病没。亡父の蔵書を読みながら育つ。特に坪内逍遥訳の「シェークスピヤ全集」と「近代劇全集」を愛読。
仙台第一高校時代には、映画と野球に熱中した。受洗。
1953年、上智大学文学部ドイツ文学科入学。夏休みに母の住む釜石に帰省して休学。国立釜石療養所の公務員などを務めつつ二年余りを過ごした後、外国語学部フランス語学科に復学。浅草のストリップ劇場フランス座の文芸部兼進行係となり、台本も書きはじめる。
戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』が芸術祭脚本奨励賞を受賞。放送作家をしながら、大学を卒業。
1964年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。その後、五年間におよぶ。「泣くのはいやだ笑っちゃおう」というテーマ曲とともにミュージカル形式の番組は多くの人々に愛された。
1969年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。
1970年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。
1972年、江戸の戯作者群像を描いた『手鎖心中』で直木賞、『道元の冒険』で岸田戯曲賞ほかを受賞。以降、戯曲、小説、エッセイ、批評など多才な活動を続ける。
戯曲は、文学座、五月舎、しゃぼん玉座、地人会、松竹などに書き下ろす。『藪原検校』『雨』『小林一茶』『化粧』ほか、この時期の作品は今も再演され続けている。文章読本『私家版日本語文法』や東北の一寒村が独立する物語『吉里吉里人』はベストセラーになった。
1984年、こまつ座を旗揚げ。旗揚げ公演の『頭痛肩こり樋口一葉』から以降、2009年の『組曲虐殺』まで、こまつ座のために共催を含めて25作品を執筆。
1987年、蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して図書館「遅筆堂文庫」が開館。以後、校長として生活者大学校を開校してきた。1994年には遅筆堂文庫と劇場が一体になった「川西町フレンドリープラザ」が開館する。その後も続いた寄贈により、資料とあわせた蔵書は現在22万点を超える。
1997年、新国立劇場の柿落としに『紙屋町さくらホテル』を執筆。以後、「東京裁判三部作」他を書き下ろした。
戯曲『父と暮せば』『ムサシ』『化粧』『藪原検校』などは海外公演でも高い評価を得ており、『父と暮せば』は、英語、ドイツ語、イタリア語、中国語、ロシア語、フランス語で対訳本が刊行されている。国鉄民営化、コメ問題、平和と憲法についてなど、社会的な発言も多く、『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』『ボローニャ紀行』など作品も幅広い分野におよんでいる。「九条の会」呼びかけ人、日本ペンクラブ会長、仙台文学館館長、また多くの文学賞の選考委員を務めた。
2010年4月9日、75歳で死去。
川西町立図書館・遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ内)
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