圧倒的なことばの力

井上ひさしさんが亡くなられて10年が経った。遅筆堂文庫生活者大学校の最初の頃のことだからほぼ30年前の話。当時の職場の同僚から相談を受けた。「娘さんが国立大学の農学部に入学したものの挫折して悩んでいる。井上さんに励ましのひとことを」というもの。
井上さんは忙しく講座の空き時間にも執筆していた。申し訳ないと思いながらも、事情を話し、色紙に一筆をとお願いした。まもなく色紙が戻ってきた。そこには『始める事ができたのだから、終わることができるはずだ。原稿に詰まった時いつもそう思う』と。娘さんの名前もきっちり添えられて。
後日談は説明するまでもない。圧倒的な、ことばの力を感じさせられた一幕。(阿部孝夫)


タバコの煙と井上ひさし

劇場の中央の長テーブルにデンと座った井上ひさしさんと演出家の木村光一さん。
あれは何の芝居だったろうか。こまつ座公演本番前のリハーサルをのぞいてみたら、お二人は、禁煙である劇場のど真ん中で、タバコを吸い笑っているではないか。
「あ、栗田さん、ここは見なかったことにしてください」と、劇作家は紫煙をくゆらせて笑った。
小心者の私としては、「はい、先生方のお姿は私には見えません」と答えるしかなかった。
タバコ、ほんとうにお好きでしたね。(栗田政弘)


あれから13年目の春

あれは確か…2007年生活者大学校の打ち上げの席だったと思う。
井上番と呼ばれている各出版社の編集者さんに、井上先生が「こちらが今後遅筆堂文庫に入られた学芸員の遠藤敦子さんです」とフルネームで紹介してくださった。足が震え、ピーンと身の引き締まる思いがした。
あれから13年目の春、膨大な本の間に未だピーンと立ちすくんでいる。(遠藤敦子)