写真:佐々木隆二


モッキンポット師のクリスマス


井上ひさしは「モッキンポット師シリーズ」の成功によって実質的文壇デビューを飾った。

師と「ぼく」こと小松久作(小松・ひさし・作)を含めた三人組による珍事件の数々。

聖パウロ学生寮に住む学生たちの貧乏ぶりに師は「ここはまるで雀のお宿や。いつ来てみても、みなはん、ぴいぴいぴいぴい囀ってる。それにみなはん、着たきり雀やしな」。よって彼らはいつも金策に汲汲とするが、正道は走らない。

皆、曲がりなりにもカトリック教徒なので、クリスマスが毎年その悪知恵の総決算となる。 ある年の生誕祭近く、小松は、アメリカの篤志家から贈られた大量の衣料仕分けのアルバイトを利用して、自分の衣服をその垂涎の高級衣料と取り換える。この手口が寮生に知られ、次々と「交換」、さらには寮にトラックづけで運び込まれた。自分らに不要の婦人服・子ども服は《よい子とそのママのためのクリスマス大バザー》で販売してしまう。当然悪い子たちの悪事は明るみになる。 いや、師は黙認していた。バザー売上7万のうち5万を寮費滞納たてかえぶんとして受け取るために。(『聖パウロ学生寮の没落』)

またある年、小松は聖ピーター修道院に住み込むと、そこの修士たちにパチンコをおぼえさせ、景品がわりに聖人たちの御姿の「ご絵」を集める。三人はそれをクリスマス直前「換金」しようとして発覚、追放となる。(『聖ピーター銀行の破産』)

そのとき彼らはモッキンポット師からそれぞれ餞別手切れ金1万円をもらう。これで正月を郷里で過ごせ、と。が、つい酒池肉林にはまり、結果的には師のもとに出戻ってしまうのだった。(『逢初一号館の奇蹟』)

 あるいは昭和32年(とこちらは明記されている)、聖堂にあった礼拝用の赤いじゅうたんを盗み出し、これまた三人が「お世話になった」娼婦佳代にクリスマスプレゼントとした。彼女の商売道具、布団の上に敷くために。ところがこれは16~17世紀のペルシャじゅうたん時価500万ともいわれる逸品で、てんやわんやとなる。あわれ、師は責任をとらされて左遷となったのでした。(『モッキンポット師の性生活』)

いつも尻ぬぐいばかりさせられるモッキンポットではあるが、逆襲に転じることもある。ある年のクリスマス近く、この悪童三人組を暗号文で食事に招待する。そして自作の殺人事件を演じ、彼らを担ぐのであった。わざわざ僧衣をトマトケチャップで汚しての熱演、しかし大学教授兼神父としてはあまりにもレベルが低い。(『ドラ王女の失踪』)

この弟子にしてこの師あり。彼らなりのメリー(陽気な)クリスマス。


文・井上恒



モッキンポット師の後始末 井上ひさし著(講談社) 1972年出版